眼鏡びいき。

日々の雑感であり、個人的見解の忘備録。

自治体研修での雑感、総括。

 私は、20156月の五日間、宮城県石巻市雄勝町にて自治体研修を行ってきた。概要としてはNPO法人sweet treat 311”(代表理事:立花 貴氏)が運営する雄勝アカデミーというスタッフも同居する施設に一週間同居しながら、NPO法人が今夏に開校を予定している中学1年生までを主対象とした複合型学習施設「モリウミアス」(さらなる詳細に関してはhttp://www.moriumius.jp/ 参照) の開校準備の為の作業や、港町でありホタテ・ホヤ等が有名である雄勝町の特色を生かした漁業体験を行った。また、上記とは他に地域に雇用を創出する為の事業の提案を行うというプロジェクトも同時に進行しており、研修後半はプロジェクトの為に各地の関係者(県庁、地元経営者等)にヒアリングを行い夜にその反映を兼ねた議論を行うというものであった。

 この五日間という短い期間ではあるが研修において思った所感がいくつかあるので以下に記述する。まず、地域に優秀かつ熱意のある人材が存在する事の重要性である。今回の研修では“sweet treat 311”の代表である立花氏が主にお世話をしてくださったのだが、彼のような今まで行ってきた事業を置いてまで、雄勝町に赴き居を構え単に頭を動かすのではなく行動力を伴って地域に何かしたいというその熱意に純粋に私は感動を覚えた。(立花氏のご略歴に関してはhttp://toyokeizai.net/articles/-/11879等参照)このような一回東京へと就職し、一定の成果をあげる優秀な人物が地方へと赴き、そこで新たに事業を創出し雇用を生み出すことが、しかし如何に困難であるかもプロジェクトを進めるうえで痛感させられた。近年ではIターン、Uターン、Jターンなどという言葉が認知されるように一度大都市へと就職等で移った社会人が何かしらの理由で地方へと戻るという現象が散見される。しかし、その社会人は最終的に実行までできた層の事を指しており、実際には実行したいという欲求があるにも関わらず、現実的な問題(金銭、仕事、家庭等)を理由として行動に移せない層が前者の何倍もいると思われる。このような層が地方に帰れば、まずその事実自体が地方にとって活性化の因子となる存在の誕生であり、喜ぶべきことである。このような社会人の地方回帰を促さなければならないのが行政の指針ではあるのだろうが、補助金等の単発的・評価が難しい施策では有効な手とはあまり言えないのが実情である。行政としてはさらなる施策を行政のみならず民間とも手をとりあい、絶えず考えるべきであり、また立花氏のような成功事例をロールモデルとして全国各地に点在させ、その存在を多くの人に認知させることが重要だと思われる。

 次に、「地方創生」という言葉の重みについてである。現在の日本では「地方創生」という言葉を数あるスローガンの一つとして掲げ、官邸においても「まち・ひと・しごと創生本部」を設立し、内閣府には新たに地方創生担当の石破氏が就任している程である。私も生れは石川県小松市という地方であったので、地方という印象についてはある程度有していたが、今回訪問した雄勝町は現在の人口が1,000人程度であり、先述した漁業についても他の地方が同様に抱えている金銭面・後継者等の問題が山積みであった。実際東日本大震災前には4,000人以上がいたが、現在の数への減少は単に震災が原因ではなく、震災はその過疎化を進行させた一つの要因に過ぎず、震災前から過疎化が深刻であったと地元の方は声をそろえて言っておられた。このように単に「地方」と定義しようとしても人口だけでも市町村ベースで数十万都市~1,000人以下の市町村と種類は無数に存在しており、またそれぞれの市町村の特徴を書き出すとキリがないのは明白である。これを国として政策を行うというその姿勢及び政策内容は勿論重要ではあるのですが、それ以外にも各自治体や地元の民間企業の行動が直接現場を変化させる直接的な要因であると思っており、国はその関係者の要望をできるだけ吸い上げサポートする存在であらねばならないが、一つの例として金銭面を事例として挙げても予算は有限であり、地方に分けることのできる予算はさらに限られる。その中で自治体が所管する各市町村の要望を調整したとしても全部の要望の応えることは困難であり、合理的には「最大多数の最大幸福」を選択せざるを得ない。この現実で漏れてしまった少数派に対して国が金銭面以外で何ができるのか、この問いは簡単に出るものではなく常に持ち続けなければならないのだろう。この研修で考えさせられる機会とはなったが正直なところまだ答えは出ていない。

 
 最後にプロジェクトで実感した、ありきたりではあるのだが現場に即した提案の難しさである。普段東京に勤務する立場として、現場を見る機会は昔と比べてかなり減少してしまったと職場の上司や書籍を通じて知る機会がたびたび見られる。この現状は仕事の効率化を目的として組織として完成してしまっており、改善点もあるだろうが現状として利点も存在するので一長一短に是非はつけられない。しかし、世間からもよく言われている「机上の空論」と揶揄される施策等に関しては真っ向から否定できない自分の存在がいた。それは今回の短い期間の自治体研修とはいえ、現場で数多くの現実を目の当たりにさせられたからである。普段東京にいる人間として扱っている数字は、大規模でありその数字一つ一つが何を意味しているのか当然理解していなければならないのだが、その数字が形成される過程までは全部を見ることはなかなかかなわない。しかし、今回の研修で与えられた雇用創出は例として雄勝町をあげれば「1人」でも新たに雇用創出できればその提案は成功なのである。しかし、その「1人」を新たに作ることさえも我々はなかなか形として提案する事は難しく、最終日の立花氏への発表を前にしてほぼ徹夜をしてしまったという、扱っているプロジェクトが如何に簡単なようで困難であるかを痛感されられるエピソードがあった。しかし、先にも挙げたように我々は国民全体の奉仕者であって選択基準としては「最大多数の最大幸福」が一番の合理的選択なのである。このような言葉を座学で教えられたからといって雇用を1人創出する事業提案する事に躓いている現状を見ると、自分の能力の無さ及び視界の狭さを痛感させられた研修であった。(報告書を一部編集の上、掲載。)